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今の教育に欠けている事 本質から政治を読み解く 本質を見極める力
出口  松井先生のおっしゃったことに、大事な問題がたくさん含まれていると思います。僕が批判した模倣とは模倣教育のことで、日本が昔からいろいろな国のものを取り入れてきたこと、たとえば中国の漢字から平仮名を作りましたが、これは模倣どころか、新しいものの創作と言えます。
 日本人の文化は決して模倣・模写ではない。独自の文化を維持しながら、外部のいろいろな文物も積極的に取り入れて、どこにもない新しい文化を絶えず作り続けてきたと思うのですよ。
松井  今、上野で長谷川等伯展をやっています。先日拝見させていただいたのですが、素晴らしかったですね。決して中国の模倣・亜流とは言えない独自の価値がある。これこそが日本の力だと思うのです。様々な文化・文明を取り入れて、こなしてきたそれだけの力はありますよ。
出口  まさにそれが日本の一番大きな特質だと思いますね。話し出したらきりがないのですが、宗教的に言うと、世界の大多数は一神教の世界観によって、今に至る歴史や社会が作られてきたのに対して、日本は神道、キリスト教、仏教などあらゆる宗教を独自の風土の中に取り込んできました。
 もしかすると日本の文化や考え方が、自分の信じる神以外を敵とする、硬直した一神教の世界観を変える可能性があるのではないかと僕は思っています。それを日本人として積極的に世界にアピールしていきたいと思っているのです。
松井  そうですね。別の言い方をすると、多様な文明や価値観や宗教、それぞれを理解して、つないでいけるのが日本人なのだと思います。
 いろいろ毀誉褒貶はありますけれど、鳩山(由紀夫)さんにお仕えしてきて素晴らしいと思うのは、やはりそれこそが日本人の役割であるとして、「“架け橋”としての日本」とニューヨークの国連総会で演説したことですね。この点は日本文化の一つの大きな特長になりうると思うし、それをきちんと教育できれば素晴らしいことだと思います。
出口  ところが戦後の日本の教育は、そういうものを活かさない正反対の方に行ってしまったと僕は思っているのです。
 最初に蘭学の話をしましたが、戦後復興するために、今度はアメリカのものを模倣吸収することになった結果、「学ぶこと」イコール「バラバラに分断された情報の記憶」としか捉えられなくなったのです。その典型的なものが学習指導要領だと思っています。
 たとえば「中1の英語は、これだけのことをやらなければダメだ」と、プログラムを作っている人が決め、それを一斉に吸収しなきゃダメだと押しつける。できなかったら落ちこぼれてしまう。その結果、過当競争が限界を超え、当時の文部省は「ゆとり教育」と言いはじめた。「ゆとり教育」自体に僕は大賛成だったのですが、文部省がやったことといえば、情報を減らしただけなのです。そして、学力低下を招いたら、今度はまた情報を増やそうとする。そのたびに現場が混乱している。
 結局、江戸時代の蘭学の発想のままずっと来て、その時その時に必要な情報を官僚が決め、それを増やしたり減らしたりの繰り返しなのです。
 学ぶ楽しさや、体系的に物事を見た上で自分でものを考える力、例えば日本の伝統的なものを理解した上で、新しいものを自分で創造していく力などは、今の教育の中では非常に生まれにくい。というより、潰されるような教育がずっとなされてきたような気がしているのです。
松井  出口先生が「ゆとり教育」に良い部分があるとおっしゃったのはすごく意外です。おそらく世の中の方から見ても意外だと思いますよ。
 私は「ゆとり教育」を主導してきた寺脇(研)さんと友人です。特に文化の面で寺脇さんを尊敬しているのですが、教育について様々な議論が寺脇さんに対してもあると思います。もちろん、ご本人も「言いたかったことが伝わっていない、やりたかったことが実践されていない」という思いがあるでしょう。
 私自身は、自分が受けた教育に感謝しています。すごくいい教育を小中高や大学で受けさせていただいたし、楽しかったですし。ただ、それは私の人格形成で言うとごく一部にすぎないのです。むしろ今の私が一年一年、仕事で、そして様々な人間関係の中で、いろいろな経験を通じて得たことの方がずっと大きい。
 私は京都で生まれ育ったのですが、高校生までは基本的に関西の子としか接しませんでした。でも大学に行ったら、北海道や九州から来た人も、チャキチャキの都会っ子も、そして外国の人もいる。もう生活が一新するわけですね。
 両親と暮らしてきた生活から一人暮らしになって、就職して、留学して、官僚としての経験もする、国際交渉もする、政治家になる、有権者と接する。私から見れば、小中高で接する情報以外にこれだけ大きな情報に接するわけですよ。
 小中高時代で得た情報、これは普遍的に大事なものも沢山ありますし、感謝しています。文科省が、「小・中学校時代に、これ位の知識やツールを学んでほしい」と基準を定めることに意味がないとは言いません。
 しかし、長い人生を生きていくにあたって、より大事なのは、自分の周囲に溢れている情報や価値観をいかにこなしていくか、ということだと思うのです。それぞれの環境において、様々な情報や体験に接した時に、それをどう取り入れて自分のものにしていくのか。どうこなしていって、それをどう人に対して伝えていくのか。
 ここを教えてないということが、私は今の教育の最大の問題点だと思います。