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対談・真剣勝負
> 第10回 田原総一朗
タブーを越えて、時代の変動を見据えたい
思考停止という心地よさ
既知に依存する官僚的論理から未来を作る論理力へ
田原
ツケと言えば、「原発は安全だ」という国家の安全神話が崩壊したとメディアは言っていますが、これは嘘です。東電や経産省は安全なんて思ってたはずがない。
彼らはなぜ「安全だ」と言ったのか。僕は40年前に東電を取材したんですよ。その際、「どうして安全だと言えるんだ」と聞いたら、浪江や双葉あるいは大熊の町長に「“絶対に安全だ”と言わない限り、周りの住民たちがOKしない。だからそう言ってくれ」と言われたんだという。
でも、そうは思っていないから、東電だって「何か起きたときのために避難訓練をして欲しい」と言うわけです。そしたら町長たちが、「冗談じゃない。避難訓練をするということは絶対安全だとはいえないってことじゃないか」と言う。だから避難訓練さえもしていなかったんです。
つまり、絶対安全の神話は、「そうでないといけない」という国民世論が作ったともいえる。別に政府や東電が作ったんじゃない。
出口
絶対安全の神話は国民にとっても居心地よかったんでしょう。考えなくて済むわけですから。
田原
僕は40年前から「原発は危険だぞ」と書いてきた。だから、今になって脱原発を言う人は無責任だと思っています。
大江健三郎も含めて、脱原発と言えば事は済むと思っているけど、そうはいかない。
脱原発といっても、54ヶ所もある原発に使用済み核燃料がいっぱいある。これをどうするか。しかも中間処理も最終処理の方法も決まってない。
その問題についてアメリカで取材したんですが「100年くらい置いとけば、使用済み核燃料を安全に処理できる技術が開発されるんじゃないか」と関係者は説明した。
そんな現状なんだから、やっぱり優秀な原子力の技術者をどんどん育成しなきゃいけない。こういうことを言うと、「田原は原子力推進派だ」と決めつける人がいる。でも違うんです。
出口
100年経ったらと言っても、その間に日本だったら大地震が必ず来ますからね。本気で考えないといけないことですよ。
田原
とにかく日本人は、自分の頭で考えることが嫌いなんだ。素晴らしい会社だと思うから、あえてトヨタについて言いたい。
前社長がアメリカ市場に向けて、高級車レクサスの大量生産に2003年くらいから踏み切った。リーマンブラザーズの破綻は2008年ですが、3年前くらいからいずれそうなることはわかっていた。
専務や常務はやがて来る事態を理解していたのにストップをかけなかった。「社長が大量生産しろ」と決めたから、ノーと言えない。ここが日本の弱さ。
日本の企業は多かれ少なかれこうなんですよ。「それは違います」ということが言えないんですね。
出口さんの曽祖父の王仁三郎も戦争に反対していたわけで、やっぱりあのとき「反対」と言うのが正しかったんですよ。だって負けるに決まっている戦争ですから。
それに近衛文麿も東条英機もあの戦争は負けると思ってたんですよ。ところが反対だとは言わない。
出口
当時のそう言うことのできない雰囲気に一番怖さを感じます。それで結局、責任を誰も取らない。
田原
東条なんて戦争前夜の12月7日は、一晩中泣いたそうです。負けるに決まっている戦争を自分がやることになったからという理由ですよ。後からそう言っているんです。でも、泣くくらいなら「反対」と言えよと思うわけです。
出口
王仁三郎の生きていた時代に、戦争反対なんて言えば、もうそれは大変でした。でも、そういう雰囲気は昔の話ではなく、今でもよくわからない空気が世の中を形作っていて、その根本は何も変わってないかもしれません。
田原
考えるべきことをタブーにしてしまって、ついに考えなくなってしまうんですよ。
数年前に女性の宮家を作る話が出てきましたよね。僕はテレビ番組でそのことについて取り上げた。というのは、チャンスだと思ったからです。
どうして女性宮家を作るんだと言ったら、要するに天皇家を絶やさないためでしょう?
でも、なぜ絶えるとダメなのか。天皇について論争するのは未だにタブーだけれど、女性宮家の話をきっかけにオープンに議論できると思ったから、そういう番組内容にした。
出口
なるほど。
田原
だから、出口さんの曽祖父ができなかった論争が今できるんですよ。
出口
ぜひやってほしいですよ。
田原
いやいや、あなたこそやらなきゃ。