巷(ちまた)はスピリチュアルブームに沸いている。目に見えないものの大事さを説きながら、前世や守護霊など、すがりつける対象を具体的に形にして陳列してみせる。出口には、それが白分で考えることを放棄させているように見えて仕方ない。本当のスピリチュアルとは何か?と思ったとき、これまで避けてきた王仁三郎の著書に自然に手が伸びた。
 だが、その著作は膨大で、しかも内容は掛け言葉などランダムな語り口で平面的な解釈を阻む。宗教には「引っ張り込まれたくない」と思いながらも、なぜか書かれたことに親しみを覚えられた。王仁三郎は、一貫して、目に見える形骸を捨て去ることを説いていると思えたからだ。
 「彼は宗教、人種、言語といったあらゆる垣根を取り払いたいと考えています。だからエスペラント語の普及運動にもかかわった。それに原罪や因果応報といった考えなど、人間が封じ込められているすべての形を取り払おうとしていた」
 親子揃って人生の中途から王仁三郎に向き合う格好になったわけだが、それはことさら大仰に宿命と呼ばれるものでもなく、生まれた環境と与えられた条件の中で、「自分にできることは何か」をただ知ったということに過ぎないのだろう。
 その出口は、実証できない霊的な事柄についてこう目信を持って話す。
 「本質は、実は直観でしかわからない。目に見える現象に囚われずに物事を見れば、わかることがある」
 出口は王仁三郎の世界観を広める一方、「日本の教育を言葉から根底的に変えていきたい」と考えている。直観による本質の理解と論理エンジンによって世界を丹念に読み解く方法の推進。このふたつは矛盾して見えるが、根底でつながっている。
 「小泉前首相が感情的なワンフレーズを多用したのは、感情の言葉を表明すれば、相手の言い分を理解しなくても仲間意識を感じられ、安心できることを知っていたからでしょう。むかつくと言えば、“何が原因なのか?”と自分の頭で考えることなく、誰かが解決してくれると思えてしまう。それが戦後教育の結末でもあると思います」
 読み書きの能力は、感覚や情緒により育まれる。その考えはいつしか「読解の正否は定かにできない」といった見解を蔓延させた。そうであれば、言葉の理解よりも、目先の効果を狙った受験テクニックが重用されたことも頷ける。まして、ニュアンスやノリといった気分に左右されれば、「本質とは何か」という問いかけがなおざりになるのも当然だ。
 論理エンジンが受験のテクニックでも国語の問題集でもないのは、自分の何となく感じた見方を世界に当てはめるのではなく、世界に道筋を見いだし、その構造を言葉によって的確に知るためのツールだからだ。人開の活動と言葉は密接につながっている。ならば、言葉の運びが変わるとき、個人は変革されるだろう。
 言霊とは言葉に宿る霊的な力を指す。発した言葉は、その通りの結果を招来するという。王仁三郎の世界の垣根を払わんと発した言葉は、かつて国体を揺るがした。出口はこう言う。「言葉の使い方で世界は変わる」。当世の「立替え立直し」の言葉はいま発せられた。
                                          (文中敬称略)


尹 雄大
1970年神戸生まれ番組制作会社等を経てライターに。著書に「FLOW 韓氏意拳の哲学」(冬弓舎)「考える高校生のためのサイトマンモTV」

(http://www.mammo.tv/)でインタビュアー。