HOME > 文学鑑賞>森鴎外「舞姫」
第一部
家や国家を背負って生きた明治人 物語は太田豊太郎がドイツから帰国する船中から始まる。 豊太郎は「腸(はらわた)日ごとに九廻(きゅうかい)すともいふべき惨痛(さんつう)」といった恨みを抱いて、今日本に帰ろうとしているんだ。 なぜ、豊太郎がこれほどの恨みを抱いたのか、その理由を明かすべく、物語は時間を遡っていく。
余は幼き比(ころ)より厳しき庭の訓(おしえ)を受けし甲斐に、父をば早く喪(うしな)ひつれど、学問の荒(すさ)み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首(はじめ)にしるされたりしに、一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某(なにがし)省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え殊(こと)なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を喩(こ)えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々(はるばる)と家を離れてベルリンの都に来ぬ。
確かにそうだ。彼はいつでも一番で、今回の留学も「我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて」とあるように、今こそ自分の出世、そして家を興すチャンスだと、血気にはやっている。 才能のある若者が、精一杯誇らしげに胸を張って、輝かしい未来を切り開こうとしている、そんな意気込みが感じられるよね。 でも、成功したい、お金持ちになりたいといった今の若者とは、鴎外も太田豊太郎も決定的に違うんだ。彼等は単に自分の欲望を満たすためではなく、家や国家を背負って生きている。
余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽ちこの欧羅巴(ヨーロッパ)の新大都の中央に立てり。
かくて三年(みとせ)ばかりは夢の如くにたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚(こうしょう)なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒(ほ)むるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜(よろ)しからず、また善く法典を諳(そらん)じて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
そうだよ。ここに鴎外のその頃の悩みが投影されている気がするな。 ただし、君たちとは時代が違うと言うことはしっかりと頭に置いておかなければならないよ。ベルリンで、豊太郎は「自由なる大学の風」に当たった。そのことの意味は、今とは全然異なっているはずなんだ。 豊太郎は家のため、国家のため、法律家たらんと懸命に頑張ってきた。これが「我ならぬ我」で、日本の風土の中で今までそれを疑問に感じたことがなかったのだ。 ところが、市民革命以後のベルリンは「自由なる風」が吹き荒れていた。誰もが好きな仕事に就き、好きな人と恋愛をし、自分のために生きようとしていた。
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