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歴史認識2013.05.22 |
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5月20日付けの朝日新聞投書欄に次の文章が掲載された。歴史学者森井眞先生によるものである。 「安倍晋三首相は「侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない」と発言したという。確かに、たとえば歴史学会では、「侵略」についていろいろな考え、定義があるだろう。 ただし、圧倒的多数の研究者は、可能な限り多くの史料に接し、それを批判的に検討し、できるだけ正確に歴史を解釈し事実を理解し知ろうとする。それに対し、少数ではあるが、歴史に対して予断を持ち、都合の悪い史料は無視し、都合のいい史料だけを拾って歴史を作り上げようとする人がいる。両者は、学会的には等価値では断じてない。しかし首相はこれを同等と考えているようにみえる。 さらにいえば、歴史を学びながら他者として普通の想像力が働かない人は、結局歴史から何も学べないのではないか。日本の犯した過ちを認めないのは卑怯だと思う。そんな人たちの作る日本は「美しい」のだろうか。」 確かに歴史と真実は異なっている。残された史料の大半は権力者にとって都合のいいものであり、だからこそ、批判的な観点から徹底的に検証しなければならない。そういった歴史的事実と、歪んだ思想を裏付けするために都合のいい史料を取捨選択したものとを同列にすることはできない。それは常識的なことであったはずなのに、いつのまにか後者が大手を降って表に出るようになった。 私たちは想像力を喪失してしまったのだろうか。
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