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憲法九条

2013.05.22

憲法九条 戦争放棄

憲法九条は、日本人の生き方の問題である。

たとえ殺されても、人を殺さないという覚悟である。

 

石原慎太郎は、憲法の条文は日本語としてもおかしい、自分は文学者だからそれがわかると発言した。

 私はあえて言おう。あれほど美しい日本語はない。何度読んでも涙がこぼれそうになる。

 戦争の勝ち負けが問題ではない。戦争という過ちを犯してしまった日本人の深い悲しみと、もう二度とあのような戦争をしてはならないという強い決意、覚悟が読み取れるからだ。

 それを読み取れない人間の読解力を、私は疑う。

 

 憲法は占領期にアメリカから憲法だという。だが、戦後私たちはそれをずっと受け入れてきた。なぜなら、私たちは空襲、原爆、沖縄戦を初めとする戦争の悲惨さを身を以て経験したからだ。

 考えてみてほしい。私たちの大多数があの平和憲法アメリカに押し付けられたもので、屈辱的なものだ、そのために日本はまだ植民地的な状態であると考え続けただろうか?

 不戦の誓いは、私たち日本人の生き方の問題であり、私たちの覚悟であり、世界に誇っていいものだ。戦争の犠牲になった人たちへの思いは何も靖国神社に参拝することではなく、二度と戦争をしないと誓うことであり、その契約が憲法九条なのである。

 実際に、私たちは戦後一度も戦争をしたことがない。九条のおかげで、朝鮮戦争もベトナム戦争も巻き込まれることはなかった。

 二度と戦争をしないと誓った国に、攻めてくる国などどこにもない。北朝鮮の脅威を声高に叫ぶ人たちがいるが、彼らは金政権を維持したいだけであり、アメリカに攻め込まれることを極度に恐れているからこそ、瀬戸際外交を繰り返しているだけである。こちらが戦争をする気が全くないのに、彼らが突然攻めてきて日本を占領することなどあり得ない。

 何の得にもならないからである。今は、植民地時代ではない。北朝鮮が日本に攻めてきたところで、彼らが日本を占領する力など持ち合わせているはずもない。

 それなのに、ひたすら北朝鮮や中国の脅威を声高に叫び、日本を武装化しようとする輩がいる。

 彼らの魂胆は透けてみえる。

 イラク戦争以来、世界で大きな戦争はなくなった。日本はアメリカにとって武器を売りつける最大のお得意さんである。多くの大企業を支えているのも軍需産業である。

 もうこれ以上はいうまい。

 

 ただ私は日本人が二度と人を殺すまいと誓った覚悟を、今でもよしとして、受け入れている。

歴史認識

2013.05.22

5月20日付けの朝日新聞投書欄に次の文章が掲載された。歴史学者森井眞先生によるものである。

「安倍晋三首相は「侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない」と発言したという。確かに、たとえば歴史学会では、「侵略」についていろいろな考え、定義があるだろう。

ただし、圧倒的多数の研究者は、可能な限り多くの史料に接し、それを批判的に検討し、できるだけ正確に歴史を解釈し事実を理解し知ろうとする。それに対し、少数ではあるが、歴史に対して予断を持ち、都合の悪い史料は無視し、都合のいい史料だけを拾って歴史を作り上げようとする人がいる。両者は、学会的には等価値では断じてない。しかし首相はこれを同等と考えているようにみえる。

さらにいえば、歴史を学びながら他者として普通の想像力が働かない人は、結局歴史から何も学べないのではないか。日本の犯した過ちを認めないのは卑怯だと思う。そんな人たちの作る日本は「美しい」のだろうか。」

 確かに歴史と真実は異なっている。残された史料の大半は権力者にとって都合のいいものであり、だからこそ、批判的な観点から徹底的に検証しなければならない。そういった歴史的事実と、歪んだ思想を裏付けするために都合のいい史料を取捨選択したものとを同列にすることはできない。それは常識的なことであったはずなのに、いつのまにか後者が大手を降って表に出るようになった。

 私たちは想像力を喪失してしまったのだろうか。

 

私の使命

2013.05.22

僕の生涯にかけての仕事の一つに、すべての人に論理力を習得させるということがあります。論理力は技術であって、方法さえ適切ならば、だれても最短距離で習得できるものです。思えば、それを二十代前半から三十年近くかかって取り組んできました。そして、ようやく今それが完成しつつあります。

学校・塾には「論理エンジン」「論理ネット」、個人向けには「論理エンジンDVD講義」、小学生へは「新日本語トレーニング」シリーズ全六巻。そして、「日本語論理トレーニング」シリーズ前十八巻は今年の七月で完成です。

中学生には「システム中学国語シリーズ」。

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これは三省堂神保町書店です。数年かけて、ようやく中学国語の定番になりつつあります。


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ジュンク堂池袋店です。

大学受験には「システム現代文」に加えて、「好きになる現代文」シリーズ。

これらはすべて実は大人が学習するのにも最適です。

これで小学校一年から、大学受験まで、論理力を誰でも鍛えることができるようになりました。

これからは本格的に大人向けのものを作成していきます。今も、様々な大人向けの本を刊行してきましたが、いよいよエンジン全開です。

昭恵さんと教育について語る

2013.05.13

今日、何らかの理由で高校をドロップアウトした子供を再教育して、高卒の資格を取らせる中央高等学院に昭恵さんと訪問しました。
昭恵さんは子どもたちと直接話をしたいと言うことで、六人の高校生とじっくりと話し合いました。いじめ、家庭や学校の事情で、高校に行けなくなった子どもたち一人一人にはドラマがありました。一人一人が昭恵さんに次第に心を開きだし、自分の心の傷を語り始めます。その時の昭恵さんの表情の優しいこと。誰もを包み込むような暖かいオーラを感じました。
その後、昭恵さんとじっくりと様々な問題について話し合いました。(ほとんどが一方的に僕が話をし、昭恵さんが頷きながら聞いて下さったのですが)
正直に言って、安倍首相と僕とはかなり意見が食い違います。昭恵さんはそれも十分理解した上で、いつも僕の話を優しく聞いて下さいます。
僕が安倍首相、あるいは、文科大臣にお会いしたときに提言しようと思うこと。
高校入試を廃止すること。
すべての子どもたちに一ヶ月国費で海外に留学する権利を与えること。
国際バカロレアを本格的に導入すること。
考える力を養成すること。
国語を解体し、論理力を養成する教科と、哲学・文学などの教養を身につけるものとに分けること。
答がない問題を考えさせること。
入試制度の改革、など、
これもほんの一部です。
たとえ、首相と根本的なところで意見が合わなくても、合意できるところから積極的に変えていけたらいいなと思います
。

 

あなたも突然、上手に書けるようになる

2013.05.12

「あなたも突然、上手に書けるようになる」
 経済界新書から発売されました。
 この本は僕にとっては様々な意味で、画期的なものだと思います。
 編集して下さったのは、政財界の編集長渡部週さん。渡部さんは今ベストセラーの「群れない力」(著者 関口智弘さん)の編集者でもあります。
 実は渡部さんは若手編集者時代、私の父の本を企画・編集して下さったそうです。そうした縁で、いつかは私の本を手がけたいと、新宿まで会いに来て下さいました。
「あなたも突然、上手に書けるようになる」
 ちょっと変わったタイトルですね。「あなたも」の「も」は誰でも書けるということ。 なぜ誰でも書けるようになるかというと、この本は初めて論理力養成のための言語プログラム「論理エンジン」を、大人向けに「文章術」として落とし込んだものだからです。
 つまり、文章が書けないのは、日本語の最低の規則を知らなかったからです。あるいは、その規則を使いこなしていないからなのです。逆に言うと、本書に書いてある規則を知らない限り、死ぬまで上手な文章は書けないということになります。(笑)
 では、「上手な文章」とは何か?
 本書は文学的な文章の書き方を教える本ではありません。誰もが日常的に書く文章の書き方をトレーニングするものです。本書が考える「上手な文章」とは、正確な文章であること、しかも、読みやすい文章。あるいは、伝わりやすい文章ということです。そのためには、筋道を立てて書くトレーニングが不可欠です。
 日本語の規則、他者意識、論理という武器など、私が今まで蓄積してきたノウハウを、ビジネスシーンに応じて、文章術に落とし込みました。感覚や才能、経験ではなく、最低限の規則を学ぶことによって、伝わり易い文章を書くことができるようにします。だから、誰でも突然、上手に書けるようになるのです。
 では、なぜ「突然」なのか?
 この本は一日一時間、一週間のトレーニングで誰でも文章の書き方が解るようにプログラムされています。単なる机上の論理に終わることなく、非常に実践的で、実用的な内容になったと思います。
 ここまで書くと難解な、あるいは堅苦しい本のようなイメージを抱いてしまう方もあるかもしれませんが、読みやすく、しかも、今までの私の本の中では最も実用的な内容になっていると思います。
 たとえば、メールでの「件名」。これをいい加減に扱っている人が多いように思いますが、これは自分のために書くのではなく、受け取った人のために書くものです。日付や内容など、具体的に書くことによって、受け取った人が後から探し出したり、整理したりするのに役立つように書くのです。いつもこうしたメールをもらっていると、相手は次第にあなたへの評価を高めることにもなるのです。本書にはこうした実用的な知恵がふんだんに盛り込まれています。
 今回私の公式HPで動画を載せました。
 編集者「渡部週」さんの「編集者のつぶやき」、
 さらに秘書兼、編集の江沢規予との対談も、動画で載せましたので、お楽しみに。
http://www.deguchi-hiroshi.com/books/tostuzenjouzunikakeruyouninaru.html      

人生を変える読解力3

2013.05.11

私は今予備校で直接教えることはない。おそらく二度とないだろう。今、様々な分野で教育改革の試みをしているので、学校の管理職の先生方への講演が中心である。
 だが、今一番興味のあるのは社会人のための読解力セミナーである。まだ一度も講演をしたことがないものである。
 私自身が読解力を鍛えることで、人生が変わった。私が三十年の講師経験で培ったノウハウをすべて投入して、果たして人間が読解力でどれほど人生を変えることができいるかを試してみたい。論理的な読解力を教えることでは日本の誰よりも優れている自信がある。それだけの実績や成果も上げてきたつもりである。
 人生を変える読解力をより多くの人に伝えたい。さらにカリスマ講師を育てたい。今、そうした願望が押さえることができないほど高まっている。

 

人生を変える読解力2

2013.05.11

私の第二の転機は代ゼミ講師時代だったろう。代ゼミが大阪に進出をし、当時一〇〇〇〇人収容の大校舎を建てたとき、地元の予備校で教えていた私は引き抜かれた。新人の私は一週間に90分の講義を23コマ持たされた。一日平均7時間ほど、マイクを持ってずっと喋り続けた。休みの20分間も質問の行列。それが20分×4の80分。休み時間に時々意識をなくして眠っていることもよくあった。だが、本当につらかったのはそのことではない。一週間に、東京、京都、大阪、岡山、広島と一日ずつ新幹線で移動し、講義をしなければならなかった。新人の私は中途半端な講義ばかりを任せられた。一週間に15種類の教科書。初めて見る入試問題ばかり。しかも、代ゼミの過当競争の中で、ミスは絶対に許されない。来る日も来る日も夜遅くまで現代文の入試問題を解いた。そこで、私の読解力は徹底的に鍛えられた。
 私が成功したかどうかは私自身が判断できることではない。私の意識としては、私はまだ人生の途上にある。やらなければならないことがこれからより多く残されている。途上にある人間が自分の人生を成功と断じることなどできない。
 だが、世に成功した人は、人生のどこかで死に物狂いでがんばった数年が必ずあるものである。それがなくて、たまたま運良く成功した人は必ずどこかで挫折する。私の場合はそれが代ゼミ時代だったと思う。ちょうど30才になろうとしたときだった。
 もう一つ、私の人生経験の中で断言できることがある。死に物狂いで学習した人、自分に投資した人、人の何倍も成長した人、そうした人のみが成功の美酒を得ることができるのではないか。
 では、どうすれば人間、成長できるのか?
 私自身の経験で言えば、大学院時代、そして、代ゼミ講師時代に、死ぬほどほど文章を読み、読解力を鍛えたからだ。知識や教養を得ること、考える力をつけること、論理力を獲得すること、こうした成功のための不可欠の要素は、すべて読解力の賜物なのである。それなのに、なぜ人は読解力を重視しないのだろうか。
 しかも、漠然と文書を読むだけでは、本当の読解力を得ることは難しい。やはり、論理的な読解力こそ、すべての出発点なのである。
 そういった思いを込めて書いた大学受験参考書が「好きになる現代文」である。まさに大人にこそ読んで欲しい本である。


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紀伊國屋書店新宿南店です。

人生を変える読解力

2013.05.10

僕は子供の頃感覚人間だった。中学生になる頃には、典型的な独りよがりの文学少年に成長していた。自分の感覚世界に浸っては、自分は他の人間とは異なる特別な人間だと思い込もうとした。他者意識などかけらもなかった。
 学校の勉強はまったくしなかった。それでも何とか単位を修得できたのは、今から思えば読解力があったからだと思う。すべての教科は教科書ガイドを読むことで、それなりの点数を取っていた。教師から学んだという記憶はほとんどない。自分で本を読めば解ると信じていた。
 何とか高校は卒業できたが、大学に入るために三年浪人した。もちろん、浪人時代も予備校をサボり、読書とパチンコ、麻雀に明け暮れていた。
 今でも時々思い出すのだが、暗い四畳半の下宿屋で、フォークソングを聴きながら、貪るように本を読んだ。まともな人生などおくれるはずもないと決め込んでいた。
 私に転機が訪れたのは大学院に入り、漱石や鴎外を貪るように読み始めたときからだった。私の読書は自分を成長させるための唯一の糧だった。読書によって鍛えられた読解力は、知らず知らずのうちに私の外見も思考力も、精神力も変えていった。
 私がわたしであるのは、すべて読解力を身につけたおかげだと言ってもいい。
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