話し方の基本の基本4

| コメント(7)2011.05.24

 この大騒動の中で講義を始めたら、一年間誰も授業を聞かなくなることは火を見るより明らかです。
 そこで、私は勇気をふるって、こう叫んだのです。
「お前たちが静かに席に着くまで、俺は絶対に授業をしない」
 そして、教科書を教壇にたたきつけ、腕を組み、仁王立ちになって生徒たちを睨みつけました。
 その結果ーーー。
 彼らはますます大騒ぎをしたのです。
 次の時間も状態は変わりませんでした。
 一度啖呵を切った以上、大騒ぎの中で授業を開始するわけには生きません。
 しかも、このクラスでの出来事が他の学年、他のクラスに波及しないとも限りません。 私はまさに登校拒否状態になりました。朝、学校に行こうとすると、吐き気を催すのです。
 結局、二週間ほど、このクラスではまったく授業をせず、睨み合いを続けました。まるで闘犬の世界のようでした。
 どちらが強いか、彼らはそんな意識で僕を睨み付けていたのです。
 ある時、僕は彼らが騒ぎ疲れて、一週静まりかえった瞬間、
「お前たちはいつまでも騒いでいればいい。俺もいつまでも授業はしない。このまま行くと、俺も首だが、お前たちも退学だ」
 と、言い放ちました。
 これは何も格好をつけたのではなく、本当にやめたくて仕方がなかったのです。さすがに、生徒の方でもこのままではまずいと思ったのでしょう、放課後ボスらしき生徒が数人来て、「先生、見直したよ」と言いました。
 結局は、自分たちも都合が悪くなったので、この辺で手打ちをしようと言った申し出でした。
 ここで学んだことは、次のようなことです。
 生徒は何も命がけで反抗したわけではありません。一部の生徒が先導し、他の生徒は面白がってそれに乗っかっただけです。
 大人が本気になれば、必ず勝つと言うことです。勝つと言った言葉は教育の場で不適切かも知れませんが、当時の私にはまさに死にものぐるいの勝負でした。
 おそらく一歩でも妥協したなら、ずるずると授業崩壊の道を辿ったと思います。
 ここから、話し方に入っていきましょう。

誰も私の話を聞かなかった

| コメント(4)2011.05.21

誰ひとり講義を聴かなかった

 大手予備校の時は、私の講義はすべて締め切り、時には何時間も受付に並ばなければ、受講できませんでした。
 ところが、私の講師としての初めての経験は、散々なものでした。話し方がうまいとかへたとかいうレベルではなく、誰ひとりとして私の話を聞いてくれなかったのです。
 あのときの経験は、今でも忘れることができません。時折、夢の中でうなされるくらいです。
 私は大学院に進学したとき、担当の教授の紹介で、ある私立の男子校に非常勤講師として赴任しました。
 当時は校内暴力が荒れ狂っている時代でもありました。
 その学校はそれほどではなかったのですが、レベルも低く、生徒の学習意欲は極端に低かったのです。
 前日、夜遅くまで教材研究とやらをやり、どうやったらうまく説明できるかを考えました。でも、そんな努力など、すべてが無駄でした。
 教壇に付き、授業を始めようとしたら、誰ひとり着席していないのです。
 最初はかっとなって、何が何だか状況が呑み込めませんでした。次第に冷静さを取り戻すと、どうやらバットで柱を叩いている生徒もいるようです。ディスコの音楽をかけて、机の上で踊っている生徒もいる。
「着席!」
 と、力の限り大声を出しても、大騒音にかき消されて、自分の声すら遠くに聞こえました。しかも、その後、思わず咳き込んでしまう。
 私は呆然と立ちすくむしかなかったのです。

話し方の基本の基本3

| コメント(2)2011.05.18

自分の世界の中で生きていた

 私は「話し方」のプロです。
 もちろん、「話し方」がうまいからプロなのではなく、長時間しゃべり続ける職業に従事してきたという意味で、私は間違いなくプロです。
 予備校講師の売り出しのころ、一日九十分の講義を四回から、五回、マイクを持って四、五百人の生徒に向かって喋り続けます。
 一日6?8時間程度、休み時間の質問の受付時間を入れたなら、もっと多く喋り続けたのです。

 私はどうやら子供のころからおしゃべりだったらしいです。
 でも、決して「話し方」がうまいわけではありませんでした。
 私は感覚人間でした。
 他者意識も社会性も全くなかったのです。
 高校生になっても、他人にはまったく関心がありませんでした。
 ひたすら自分の世界の中で、妄想ばかりふけっていました。世界は自分が目を開けているときだけ存在し、実は目をつぶっているときには世界は消滅しているのかも知れない、そう思うこともたびたびでした。
 もちろん、いつでもそんなことを信じていたわけではありません。でも、自分は世界の中心だったのです。
 これは威張っているとか、選民思想を抱いているとかいうのではなく、他者意識が極端になかったのだと思います。
 自分が喋りたいことを喋りたいだけ話し、相手がそれを理解したかどうかなどまったく関心がなかったのです。まさに自分の体内に生まれてくる言葉を、時々外に吐き出したといった具合です。

 大勢の前で話すことはもっとも苦手でした。
 少人数なら、相手かまわず好きなことを述べていればいいのですが、大勢に向かって話すときは、自分が注目されていると意識した途端しどろもどろとなります。
 何をどう話していいのか、まったく分からないのです。
 しかも、あがり症でした。頬がかっと火照って、まるでふわふわと宙に浮かんでいるような気持ちになります。
 
 私が大勢の前で話さなければならなかった最初は、大学生の時、教育実習で教壇に立ったときでした。見事に失敗しました。
 自分でも何を言っているのか分からなかったのですから、生徒にとってはもっと分かりにくかったと思います。
 だが、その時は指導の教師がうまくカバーしてくれ、生徒も優秀でおとなしい生徒ばかりだったので、何とか格好をつけることができました。
 ところが、大学院に進学し、初めて私立の男子校の教壇に非常勤講師(アルバイト)として立ったとき、私は初めて自分の前に他者の存在を感じたのです。
 彼らは厳然として私の前に立ちはだかり、私には到底理解できない存在として立ち向かってきたのです。
 しかも、多勢に無勢です。
 その時、私は初めて話しというものをし始めました。つまり、相手が理解しようがしまいが関係なく、自分の中に生じた言葉を吐き出すのではなく、理解不可能な集団に対して、何とかコミュニケーションを取らざるを得ない事態が生じたのです。
 今思えば、その時私は変わったのです。
 話しは一人でするものではありません。
 「話し方」とは、対人間、対社会、いや、対世界との関係の中で初めて可能なのです。話し方を変えるというのは、人間に対する関係を変えることに他ならなかったのです。 

話し方の基本の基本2

| コメント(0)2011.05.16

第二の言語を活用せよ

 話し方の基礎の基礎から始めましょう。
 私たちは赤ちゃんから、やがてはよちよち歩きの幼児へと成長します。
 もちろん、まだ言葉を覚えていません。それでも、幼児は懸命に自分の意志や感情を伝えようとするはずです。
 どうやって伝えるのか?
 泣いたり、笑ったり、つまり、自分の意志や感情を仕草によって表現しようとします。 自分の意志や感情を伝える手段が言語だとしたら、仕草も立派な言語の一つです。
  たしか、柳田国男も書いていたことですが、「泣く」という仕草を例に説明しましょう。

 子どもは幼ければ幼いほど、よく泣きます。その時泣くという仕草は、子どもの言語なのです。
 でも、やはり泣くという仕草は労力を要します。次第に言語を習得するにつれ、子どもは泣かなくなってきます。ご飯をもらえるまで泣き続けるよりも、「お腹すいた」と言った方がずっと楽ですから。
 その子どもが小学生になったとしましょう。
 何か悪い悪戯をして、母親にきつく叱られています。
「何でこんなことをしたのよ。訳をちゃんと話してご覧」
 子どもは唇をかみしめて、じっと黙っています。イライラした母親は、
「何で黙っているのよ。何か言わないと分からないでしょ」と声を荒げます。
 すると、子どもは突然火のついたように泣き出します。
 子どもは決して反抗しようとしたのではありません。まだ言語能力が未発達なので、自分が悪戯をした動機を説明しようとしても、うまく言葉が出てこないのです。そこで、突然泣き出しました。
 つまり、この時、泣くという仕草が子どもの言語だったのです。言葉ではうまく説明できないことを、泣くという仕草で表現したのです。
 言語能力が発達するにつれ、大人は次第に泣かなくなります。別に泣かなくても、言葉で説明すれば解決がつくのですから。
 大人はだから泣かないものなのです。
 ところが、泣いてはいけない大人が、それでも涙を流すときがあります。そんな時、私たちは言語では表現できない深い感情に充たされているのだと思い、厳粛な気持ちになります。
  だから、涙は最高の表現手段です。
 たとえば、テレビドラマのクライマックスで、主人公がぺらぺら自分の気持ちを説明しだしたら興ざめです。最後の場面は何も言わずに、涙をぽろりとこぼせばいい。そして、カメラはその表情をアップで映し出す。
 それで充分です。
 エピソードの積み重ねの中で、次第に私たちは感極まっていきます。
 クライマックスに至るまでのプロセスが大切なのに、安物のメロドラマは、すぐに登場人物を泣かせます。 
 私たちがまだ主人公の深い感情を十分に理解していないうちに、その主人公が涙を流してしまったから、どのドラマは破綻してしまったのです。

  私たちは「話し方」というと、何をどうやって喋ろうかと、喋る内容にばかり神経を使いがちですが、魅力的な話し方をする人は、何も話す内容が素晴らしいだけではありません。
 平凡なことでも、その人にかかれば、きらきらと輝いて聞こえてくることもあるものです。
 話し方がうまいよりも、その人が話せばどんな平凡なことでも魅力を感じてしまう、そんな方がいいとは思いませんか?
 その人はおそらく「声」「仕草」「表情」といった第二の言語を巧みに操っているのです。
 特に大勢の前で話す仕事をしている人は、第二の言語の使い方がうまい人が多いのです。決して話し方だけがうまいわけではありません。 

話し方の基本の基本

| コメント(0)2011.05.15

生まれたときから話していた

 

 私たちがこの世に生を受けた瞬間、思いっきり泣き声を上げます。もちろん、この時何を思って声を上げたのか、誰にも分かりません。
 でも、赤ちゃんはお腹がすいたとき、だっこして欲しいとき、おしめを換えて欲しいときなど、懸命に泣き声を上げます。
 もちろん、既成の言葉を所有しているわけではなりません。あらゆることを、「声」で表現しているのです。このように、私たちは最初は声でもって周囲の人たちとコミュニケーーションをはかります。
 逆に言うと、私たちは赤ちゃんの声の大きさ、質などにより、赤ちゃんが何を訴えようとしているのかを読み取ろうとします。
 声には「意味」はありません。それでも、「声」は私たちの心を十分に伝えてくれるのです。
 たとえば、恐怖心を言葉で説明するよりも、叫び声の方が瞬時にそれを表現することができるし、恋人にささやく甘い声は、百の言葉よりも効果的かも知れません。
 言葉は意味を表す限りは、それを発信する中心となる場はやはり脳髄でしょう。それに対して、声は身体全身、いや時には心の中から発信することができるのです。
 それなのに、現代人は「声」に関してあまりにも無関心であるような気がします。
 まずは「声」に心を込めましょう。自分がどんな「声」でしゃべっているかを、時には意識してみましょう。
 
 誰かの誕生日プレゼントを買いに、デパートに行ったとしましょう。その人に何を送れば歓んでもらえるのか、考えに考えた揚げ句、せっかくの日曜日を棒にして、デパートの人混みを掻き分けてようやく一つのプレゼントを買いました。
 相手がどんなに歓んでくれるのか、その晩は興奮であまり寝付かれませんでした。
 そして、次の日、胸をどきどきしながら、その人にプレゼントを渡したとします。
「ありがとう」
 その人はにこっと笑ってそう言いました。
 では、その人の声はどうだったでしょう?
 ただ義務的に、声に心を込めることなく、ただ「ありがとう」と言ったのなら、あなたは昨日一日プレゼントを買うために時間をつぶしたのは一体何のためだったのだろうと、きっと悲しくなるに違いありません。
 もし、その人が心から感謝の気持ちや喜びを声に込めていたとしたら、昨日の苦労はいっぺんに報われるに違いありません。
 「ありがとう」という言葉の意味は、どちらも同じです。でも、その「声」によって、その効果はまるっきり異なったものになります。
 私たちはなまじ言葉を習得したために、「意味」にばかり重点を置き、「声」の大切さを忘れがちになります。
 今、「話し方の基本の基本」を始めるとき、まず「声」を意識することから出発したいと思うのです。
 
 「声」に心を込めて喋れば、相手の反応も異なってきます。朝起きたとき、あなたは家族にどのような「声」で、「おはよう」と言っているのでしょうか?
 「声」に力のある人の周りには自然と大勢の人が集まってきて、その場が明るくなることでしょう。
 その逆で、「声」が暗い人は、やはりその人と話しても楽しくなれないので、周囲から人が去っていきます。
 ずいぶん昔の話しですが、私は三十代から長年ら字をのパーソナリティをやっていたことがあります。その時のリスナーたちは受験生が大半で、おそらく深夜に勉強をしながら、ラジオから流れている私の「声」を聞いていたと思います。
 私の「声」が、どんなトーンで彼らに届いていたのか?
 そのことを思うとき、私は今でも思わず冷や汗が出そうになるのです。
 「話し方の基本の基本」は、やはり「声」を意識することです。

 

話し方の基本の基本

| コメント(0)2011.05.14

「告白」の続きは、アメブロでやります。

http://ameblo.jp/deguchihiroshi/

公式HPのブログでは、「話し方の基本の基本」を

連載しようと思います。

乞うご期待。

告白5

| コメント(0)2011.05.12

本当は今、実家の火災や出口王仁三郎について語ろうと思っていました。

でも、その前にどうしても書いておかなければならないことに気がついたのです。


「告白」3で、秘書のEが肉を食べなくなった話しをしました。

僕も自分から肉を食べようとは思わないけれども、出されてしまった肉はおいしくいただくと、Eに言ったのです。

何気なく言ったつもりでした。

もし、出された肉を食べなかったら、その牛や豚を殺す必要はなかった。食べるために生き物の命を奪いながら、それを食べたくないと捨ててしまったら、牛や豚が可愛そうだ。

 そういったとき、秘書のEが顔をしかめて、その考え方って傲慢だわってつぶやいたのです。

 僕ははっとしました。

 牛も豚も人間と同じほ乳類だ、犬や猫も人間と同じように恐怖も感じるし、痛みも感じるはず。それを食べるために殺す、そして、それを何とも思わない僕たちは傲慢である、と僕は発言しました。

 その論理が正しいなら、肉を食べ残すと、殺された牛や豚が可愛そうと思っていた自分は、やはり大いに傲慢だったのです。

 自分が牛や豚だったら、殺されてしまった後、その肉体を焼かれるか捨てられる方を選ぶだろう、それを食べてもらいたいとは思わないし、ましてや死んだ後も毛皮にされて殺した人間の持ち物にされたくないと思うでしょう。

 これは想像力の問題なのです。

 それなのに、殺されてしまったんだから、食べてあげないと可愛そうと思うのは、あくまで人間の視点であって、牛や豚が本当にそう思うかというと、おそらくは違うと思うのです。

 こう思ったとき、またもや自分の中の傲慢さに気づきました。そして、その傲慢さに今まで無自覚のまま生きてきたことを恥ずかしいと感じたのです。

 ひとりひとりのこうした傲慢さと、今の原発の問題とは決して無関係ではないのです。

 僕たちの価値観を変えない限りは、おそらくこの地球もいずれは滅んでいくだろう、そう考えたとき、自分の中の傲慢さをしっかりと見据えなければならないと思ったのです。

 自分の中の傲慢、不遜をまずさらけ出す。

 告白。

 僕はここから出発します。

 そして、僕が告白しなければならないことは、これだけではありませんでした。

 知識人の思考停止状態。

 このことももう一度考え直さなければなりません。

 

告白4

| コメント(0)2011.05.11

傲慢

不遜

毛皮のコートにバックにベルトに財布を、何とも思わず身につける人たち。

生きた動物の命を奪ってその毛皮を剥いで、それを身の回りに置く。人間ならそれが許されると、疑問にも思わない。

やがて世界のどこかでクローン人間が誕生するかも知れない。生命まで人間の手で操作しようとする人たち。

そして、原子力。

地球を破壊できる物が、人間の手で開発され、人間の手で管理される。

人間は地球の運命まで自分の手の中に置いたのです。

その傲慢さ。

不遜。

地球を何百回も破壊できる核兵器を保持しながら、それを放棄することもなく、他の国に核を作るなと脅す大国アメリカ。

原発が安全か否かではなく、地球を消滅させることができる物が、人間の手の中にあることの恐ろしさ。

所詮、人間のやること。いずれはどこかで取り返しのつかないことになる(もうすでになっていますが)はずです。

今回の原発事故への対応を見ても、僕は人間のやることに全面の信用はおけないと思っています。

既に、人間は神の領域まで踏み込んでしまったのです。それを何とも思わない思考停止状態の僕たち。

そして、何よりも僕もそうした人間と何ら変わらないと気づいたとき、愕然としてしまったのです。

 

 去年の八月、実家が全焼しました。

 そこで、焼け出された母といっしょに暮らすことになりました。

 そして、王仁三郎の様々な宗教物が焼け跡の中から発見され、僕の自宅へ運び込まれました。

 僕はその時、自分の人生を自分で決定できないことを知ったのです。

告白3

| コメント(0)2011.05.10

次々とテレビの画面に映し出される地獄絵。

空に大地に海にまき散らされる放射能。

僕の中で何かが大きく変わりつつありました。それは突然に変わったのではなく、ふと気がつくと、どこか以前の自分の考え方、生き方が変わっていたという具合だったのです。

大自然の前には、文明の力がいかに無力であるのか、それをいやというほど思い知らされたようでした。僕たちの文明をもう一度思い切って見直さなければならない、そんな思いを抱いたのです。

僕たちは科学技術を過信し、自然に対して傲慢すぎたのではないか。

そして、僕にとって何よりも大きかったのは、僕自身の問題でした。僕が今しなければならないことは何か、果たして何ができるのか、そう自問自答するとき、実は傲慢であったのは文明だけでなく、実は僕自身であったのではないかと気がついて愕然としました。

 

僕の秘書のEは、震災後、一切肉を食べなくなりました。肉のかたまりだけでなく、ミンチも食べることをしません。もちろん、ハンバーガーなども肉が入っているから食べません。

僕たちは動物を殺して、肉を食べることを仕方がないとして、思考停止をしたままでした。肉はスーパーで百グラム何円という数字に変えられ、生きている動物を殺すという現実を考えようとしませんでした。あるいは、人間だからそれが許されると無理に思い込んできました。

 でも、果たして人間なら許されるのでしょうか?

 僕はパピーウォーカー(盲導犬を育てるボランティア)を長年やっています。犬といっしょに暮らしていると、犬だって人間と同じようによろこんだりおびえたり、痛みや恐怖だっておそらく人間と何ら変わらないことが分かります。

 牛や豚を殺すということは、いっしょに暮らしている犬を殺すこととどう違うのだろうか、僕たちはそんな現実をわざと考えようとしなかったり、あるいは人間だからそれが許されると勝手に思ってきたのではないでしょうか?

 牛や豚を殺さなくても、僕たちは何の不自由もなく生きていけるのです。

 傲慢。

 不遜。

 そんなことばが脳裏にこびりつくようになりました。

 もちろん、僕の場合は秘書のEほど徹底したものではなく、出されたものは食べますが、その時胸が痛むようになったのです。そして、自分からそれを食べようとは次第に思わなくなりつつあります。

 僕は長年予備校の講師という因果な職業に就いてきました。因果といったのは、僕が生徒を獲得したとき、他の教師の教室では生徒が減っているといった状況のなかで、ひたすら競争を強いられてきたからです。

 (今は生徒がいる教室で講義はしていませんが)

 そして、僕は傲慢でした。

 肉を食べないというのは一例であって、僕は僕自身の生き方をもう一度考え直さなければならない時期に来ていることを自覚し出しました。

 

 大震災だけでなく、実は僕の周囲に次々と驚くべきことが起こったのです。

 まさに計算されたかのように、僕は僕自身の生き方を変えざるをえない事態に遭遇しました。

 しばらくの間、僕は混乱状態でした。

告白2

| コメント(0)2011.05. 9

3月11日、午後飛行機は香港空港に到着しました。

入国審査の際、僕の番で、職員が英語と中国語で何かを懸命にしゃべっていました。僕は英語も中国語も苦手で、何を言っているのかよく分かりません。

いつもなら形式的な審査ですぐに通過できるのに、何か問題でもあったのかと思っていると、職員は突然紙を持ち出し、僕に「東北 大地震」と書いてくれました。

僕が日本人なので、親切に教えてくれたのでしょう。

僕は狐につままれたような気がして、そのまま紙をポケットに入れ、サンキューといって通過しました。

「東北 大地震」とあるので、何か東北地方で大きな地震があったんだなと思ったけれど、詳細はつかめません。せいぜい震度6ぐらいかと思い、ホテルについてテレビのニュースチャンネルをあわててみると、どうやらよほど大きな地震であることが分かりました。

ホテルでパソコンを立ち上げたけれど、ネットがつながりません。携帯電話もダメです。フロントに行ったけど、日本語が分かる人がいなくて、らちがあきません。

僕は機械音痴なので、どうしていいのか分からず、仕方がなくテレビをつけっぱなしにしていました。

その日はまだ正確な情報はあまり入っていないらしく、もどかしい気持ちでいっぱいでした。

翌日から次々と入ってくるテレビ画面に目が釘付けです。本当に信じられませんでした。

香港には四泊五日、日本のことが気になって仕方がなかったけれど、どうにもなりません。ニュースでは東北地方のことばかりで、東京も大きく揺れたことはまったく知らなかったのです。

そして、原発事故。

その頃は、まだ海外のニュースでは大きく取り上げられてなく、どうやら福島原発から黒煙が出ているけれども、政府の発表では安全だといった程度でした。

 そして、日本に帰ってきました。

 しばらくは浦島太郎状態。

 香港にいたときはネットによる情報がまったく入らなかったので、帰国後に次第に入ってくる情報に戸惑いました。

 テレビ画面に映し出されるあまりにも悲惨な情景に、一体自分は何ができるだろうと思いました。

 そして、わたしの中で何かが確実に変わったのです。

 その時は何が変わったのかよく理解できなかったのですが、今までのわたしの考え、生き方が揺らぐのを感じたのです。 

告白1

| コメント(0)2011.05. 9

3月11日、東日本大震災の二日前のことです。

9日夜、六本木のスタジオで苫米地先生と対談中のことでした。

突然、鼻から血が噴き出し、止まらなくなりました。

対談はしばし中断し、それでも止まらなかったので、血を流しながら続行しました。

本当にドボドボとこぼれ落ちるといった具合でした。下に洗面器を置かなければならないほどでした。

その際は、苫米地先生には本当のご迷惑をかけました。

その後、秘書のEさんが、あちらこちら病院に電話をしてくれたのですが、どこも断られました。

仕方がなくEさんにタクシーで東京のマンションまで送ってもらったのですが、その後もどうしても血が止まりません。

血を拭くといったレベルではないので、洗面所から顔を離すことができないのです。

仕方がなく、、午前四時頃救急車を呼びました。

緊急処置をしてもらい、一応血が止まったので、眠りにつきました。

原因はよく分からないということでした。

午前七時に目が覚めたとき、再び血がこぼれ落ち、止まらなくなりました。

原因は、実は思い当たることがあったのです。

実は、一ヶ月ほど前、花粉症対策で鼻の手術をしたのです(今年は例年よりも花粉がひどいと聞いていたので)。その手術は最新式のもので効果的だが、一ヶ月後くらいにかさぶたが落ちることがある。その際、まれに血が止まらなくなるケースがあるので、その際はすぐに連絡してくださいと、担当医の携帯の番号の受け取っていたのです。

おそらくそのケースに間違いないと思いました。ところが、まさか自分に限ってそんなまれなケースは当てはまらないだろうと、携帯番号の紙を捨ててしまっていたのです。

すぐに関西にある自宅に電話をし、家内に事情を説明しました。

というのは、3月11日に、家族で香港に行くことが決まっていたのです。子どもが東京の大学に合格したので、おそらく家族旅行など次はいつになるかわからないということで。

僕はどうしても無理だから、僕以外で旅行に行って欲しいと訴えました。

血はどうしても止まりません。

夕方、家内から電話があり、旅行を中止するなら、旅行会社に七時までに連絡しないと行けないというのです。

家内は、家族みんなで相談した結果、香港旅行は中止して、国内旅行に切り替えようということになったと、僕に伝えてきました。

せっかくの旅行を中止したくないし、国内ならいざとなれば病院に行けばいいとのことでした。

出血もましになってきたので、僕は了承しました。

まだ東北地方にはあまり行ったことがないので、岩手に行くことにしたそうです。そういえば、十和田湖も一度は行ってみたかったし。

僕は頭を東北旅行に切り換え、そのためにもう一度病院に行くことにしました。

前夜は深夜の急患だったため、若い担当医師が治療に当たったのですが、今回はベテラン医師が丁寧に吐血の治療をしてくださいました。

その結果、何とぴったり血が止まったのです。

でも、おそらく既に香港をキャンセルしているだろうと思いつつも、念のため家に電話しました。

 すると、忙しくてまだキャンセルしていないとのことでした。

 僕はどうしようか迷った揚げ句、香港旅行を決行することにしました。

 家内は心配していましたが、僕の鼻血のためにみんなの楽しみを台無しにしたくないと思い、強引に香港旅行を主張したのです。

 

3月11日、大震災の時、僕は空の上でした。

ブログ再開

| コメント(0)2011.05. 8

地震前後から、私生活から仕事まで様々なことがあり、落ち着いてブログを更新することができませんでした。

申し訳ありません。

これからはまた頑張って更新しようと思います。

今、ツィッターにはまっています。

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